ネリコ日記

365日にっき

2018-04-17(火曜日)くもり

昨晩地元の昔の友人が亡くなったという連絡が来た。友人と言っても小学校が何度か同じクラスになっただけで、それ以降絡んだ記憶はないから顔見知りという方が意味合いが近い。だから突然死んだと聞かされても、驚きや悲しみといった感情はなく、冷たいかもしれないが、「あ、そうなんだ」くらいの反応しかできなかった。

彼女の死因は病気だったらしい。幼稚園に通う幼い娘もいたんだという。それを聞いたときはさすがの私も、彼女や彼女の家族の気持ちを考えたりした。だけど闘病していたことも知らなかったし、あまりにも接点がなさすぎて咄嗟に出たのは「そうなんだ」という何も意味を含んでいない感情だけだった。彼女と同じ病気を経験していたり、自分が母親になっていたら違ったかもしれない。でも私にとって"死ぬ"ということは身近ではなく、どれほど彼女が辛いか、母親として幼い娘を残す気持ちがどんなものかとかそういったことが瞬時に想像できずどこか他人事だった。

今回彼女の訃報はLINEで急遽作成されたグループで知らされた。地元にのこっている子がみんなに知らせておきたいということで、一斉配信したようなのだが、そのグループは私のように長年絡みのない人や、昔彼女のことをいじめていた人も地元が同じというだけで見境なく招待されていて、果たして本当にそこまでしてみんなに知らせる意味はあったのか疑問だった。私も含めて亡くなった彼女自身も覚えていないような人達にまで伝える意味はないんじゃないか。「最後までがんばった彼女のことを忘れないであげてください」と突然言われても困る。そんなに深く受け止めることでもないんだろうけど、今回の件は彼女の死が不必要に晒されているように感じて嫌だった。

たぶんこんなことを思うのは、もし自分が死んだら、こうやってグループLINEで大々的に発表されたら嫌だと思ったからだ。もう10年以上も会ってないようなほぼ他人の人達に、「あいつは最後までがんばった」とか言われたくない。今の私のことを何も知らないような人達に私の最後を語ってほしくないし、中途半端な気持ちで憐れまれたくない。私の最後は最低限関係のある人達にだけそっと伝えてもらって、大好きなひとだけに看取ってもらいたいから。

今回のとは別件で専門時代に高校のとき同じクラスで仲の良かった友人が事故で亡くなったと知ったときは本当にショックで嘘でしょ?と思った。彼の顔はぱっと浮かぶし、遊んだ記憶もすぐ蘇ってきて、"死んだ"ということを認識した瞬間に涙が溢れた。お通夜にも出席してわんわん涙を流して最後は笑顔で送り出して、たぶんこういう関係だったら知らせる意味はあるんだと思う。このときはショックだったけど最終的にはきちんと彼を見送れてよかったから。今回の彼女の場合、情報は大きく広まってしまったけど、本当に彼女の死を弔ってくれる人にきちんと伝わってくれることを願います。